「ゲゲゲの鬼太郎」の産みの親・ 水木しげる、その波乱に満ちた人生
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水木しげるは、「ゲゲゲの鬼太郎」の産みの親であり、
そして90才を超えても、なお現役であり続ける漫画家である。
彼の書くマンガが面白いのは、もちろんの事だが、
彼が生きた半生もまた、実に興味深いものがある。
水木しげるは「戦乱の日本」と「貧困の日本」を生き抜き、
“片腕が無い”というハンディキャップを乗り越えて、
“『落第生』から『国民的な漫画家』になる”という
ジャパニーズ・ドリームを つかみ取った人物であった――
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落第生、数度の解雇、太平洋戦争への出兵、左腕切断、極貧生活、
そして国民的な漫画家へ……
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「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な漫画家「水木しげる」は、
小さい頃からマイペースな性格で、
学校には、いつも遅刻して通っていた。
その後、水木は“石版印刷の図案職人の見習い”として就職したが、
マイペースさから、仕事に付いて行けなかったため、
たった2ヶ月で解雇されてしまう。
次に、版画社に就職したが、これも短期間でクビになってしまう。
その後、水木は新聞配達をしながら、学校(日本鉱業学校)へ入学したが、
成績が悪く、しかも欠席も多かったため、
わずか半年で退学処分となってしまった。
そして太平洋戦争――
1941年に、この戦争が始まると、水木しげるの運命は一変する。
21才で太平洋戦争に召集され、南方の激戦地ラバウルへ送られた水木は、
敵機の爆撃によって、左腕に重傷を負ってしまう。
その結果、やむなく水木は、
麻酔なしの状態で、左腕の切断手術を受けたのだった。
そして1945年、日本は敗戦した。
こうして戦争が終わったため、水木しげるは、左手を失いはしたものの、
奇跡的に、日本への生還を果たすことが出来た。
だが生きて日本へ帰れたとはいえ、
厳しい現実が、戦争を生き延びた水木しげるの事を、待ち受けていた。
日本へ帰国した後、
水木は「紙芝居作家」を経て「貸本漫画家」となるのだが、
彼は、お金が無い「極貧生活」に陥ってしまう――
鬼太郎シリーズが、出版社に認められなかったりして、
“マンガを描いても描いても、
残高がゼロになる”という金銭的ピンチに、
何度も見舞われてしまうのである。
しかし、当時の貧困生活を描いた、
水木しげるの自伝的マンガ「ゲゲゲの家計簿」には、 悲壮感が感じられない。
なぜだろうか?
水木しげるは、こう述べている。
「戦争でねえ、危ないところに、しょっちゅういたから。
それと比べれば、日本に帰ったら、もう安心なんです。
喜びの世界ですよ。」
“生きるか死ぬかの戦場”に比べたら、
どんなに貧しくても、平和な日本に住めるだけで、幸せだ――
当時、水木しげるは、そんなふうに考えていたのかもしれない。
これは、“平和で豊かな日本が、
当たり前だ”と思っている、 われわれ戦後世代にとっては、
なかなか十分に理解するのが難しい話ではあるのだろう。
戦争のせいで片腕を失い、
やっとのことで帰国できたにもかかわらず、 食うや食わずの極貧生活が続く。
普通ならば“こんな人生、もう、やってらんねえや”と
投げ出してしまうところなのだろうが、
水木しげるは、決して、あきらめなかった。
「左腕を失った事を、
悲しいと思った事はありますか?」と 後年、聞かれた際、
水木は、こう答えている。
「(悲しいと)思った事は無い。
命を失うより、片腕を無くしても、生きている方が価値がある。」
また水木は、こうも述べている。
「私は片腕がなくても、他人の3倍は、仕事をしてきた。
もし両腕があったら、他人の6倍は働けただろう。」
そうした努力と苦労が実り、 「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」
「悪魔くん」といったヒット作を 次々と生み出した水木しげるは、
ついに国民的な漫画家となったのだった。
「絶望」とは、愚者の結論である。
――ベンジャミン・ディズレーリ(イギリスの政治家)
「成功」とは、意欲を失わずに、
失敗に次ぐ失敗を、繰り返す事である。
――ウィンストン・チャーチル(イギリスの政治家)
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奇人変人?
インタビューの最中に、突然いなくなる「水木しげる」
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次に、水木しげるの面白いエピソードを、いくつか紹介しよう。
水木しげるの事を、
陰で支えた3人の編集者(呉智英、南伸坊、松田哲夫)によると、
水木しげるは、人と話をしている最中に、突然いなくなる事があったという。
3人の編集者は、こう語っている。
【松田】
(水木しげる先生は、人との)話の途中なのに、
立ち上がったかと思うと、
自分の机で、マンガを描いていたりするんだよね(笑)。
【南】
(水木しげる先生の)話を聞いている途中に、
(水木先生が)スッと立って、なかなか帰ってこない。
『トイレかな』って思って、
水木プロの方に『水木さんは? 』って聞いたら、
『散歩だと思います』って。
水木さん、(話が)つまんなかったんだろうね(笑)。
【呉】
雑誌のインタビューの時にも、いなくなる事があったな。
『天然の部分』と『わざとやっている部分』の両方あるんだよな。
こうしたエピソードを知ってしまうと、
“水木しげるという人物は、
筋金入りの変人なのでは”と思ってしまうが、
「ダ・ヴィンチ電子ナビ」によると、
「(水木しげるは)意外とシャイで、恥ずかしがり屋」だという。
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水木しげるの持論は「睡眠が大切」
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水木しげるが「手塚治虫文化賞」を受賞した時、
水木は、こう述べた。
「人間は、眠りが大切です。
みなさん、よく眠りましょう。」
前出の南伸坊(編集者)によると、
この“睡眠が大切”というのは、水木しげるの持論だという。
実際、水木しげるは、こう述べている。
「週刊誌(の連載)は、大変ですよ。
やっぱり週刊誌をやっていると、命が縮まるんじゃないですか。
手塚さんにしても石ノ森さんにしても、
週刊誌を一生懸命やっていたから、早死にしたんじゃないですかね。
石ノ森さんは、どこかで会うと、
必ずこうやって(2本指を立てる仕草)、見せるんです。
何の事かというと『2日間、徹夜した』というのが自慢なわけですよ。
眠りを軽蔑したり、いじめたりするのは、いかんです。
私は子供の頃から、眠るのが好きだったから。
だから良かったんです。」
手塚治虫、石ノ森章太郎ともに、60才で亡くなった。
それに対して、水木しげるは、もう90才を超えている。
「ダ・ヴィンチ電子ナビ」によると、
「(水木しげるは)今でも、半日ほど寝る事があり、
起きてこない日は、家族が心配するほどだ」という。
この睡眠第一主義こそが、長寿のヒケツなのかもしれない。
【参考文献】
・マンガも人柄も人生も、全てが面白い「水木しげる」の魅力(ダ・ヴィンチ電子ナビ)
・話している途中で、いなくなる? 編集者が語る「水木しげる」の裏話 (ダ・ヴィンチ電子ナビ)
・週刊誌連載は、命を縮める? 水木しげるの処世術とは?(ダ・ヴィンチ電子ナビ)
・差引残高ゼロ!お金がない!水木しげる「ゲゲゲの家計簿」(エキサイトレビュー)
・水木しげる(Wikipedia)
・水木しげるとは(ニコニコ大百科)
・幸せを呼ぶ名言‐偉人たちの言葉‐
・名言のウェブ石碑
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